1991年 共同作業所としてウイング 開所
1999年 現在の地(可部1丁目)に移転
2000年 喫茶ウイング クッキー製造の営業許可
2002年 法人化準備
2003年 NPO法人ウイングかべ 認証
2004年 小規模通所授産施設として認可
2006年 可笑屋 オープン(可部3丁目)
2007年 可笑屋二期工事
2008年 自立支援法移行(B型、地活Ⅲ)
2009年 エール竣工、可笑屋第三期工事完成
2011年 20周年記念行事
2012年 亀楽庵開所、相談支援センター開所
始動期(1990年~1999年)
~作業所開所準備の時期から、可部3丁目から1丁目へ移転するまで
社会復帰クラブアップルで知り合った3人のメンバーが自宅に集まり作業を始めたことが、その後の共同作業所ウイングの誕生につながります。そこにあゆみ会や保健センターが場所探しなどを支援して開所にこぎつけています。
精神保健福祉がまだ「入院治療」中心で、地域生活の支援が始まったばかりの時期ですが、安佐北区では初めての共同作業所としてスタートしていきます。地域にいるメンバーが共同作業所ウイングで出会い、交流を深めることで孤独な生活から人との信頼を築き地域での活動へと広がりを獲得することができたのです。
運営委員会が発足し、国・市の助成を受けるなど共同作業所としての運営体制を整えていきます。内職仕事やレクリエーション活動など、現状の活動の原型が早くも形づくられていきます。また、社会適応訓練事業を利用して就労する人が徐々に出ており、作業所の利用がさまざまな仕組みへとつながり、社会参加を進めていきます。
共同作業所と地域とのかかわりは、①看板も掲げず町の片隅でひっそりと始める段階から、②徐々に地域のイベントや行事へ参加し自主製品の販売を始める時期、③ボランティアなどが導入され、双方向の交流が深まる、といったように徐々に深まりを強めます。ウイングでは開所から4年目には②、③の段階へと移り、バザーなど地域のイベントへの参加を始めています。また「ウイングだより」や文集を発刊し、早い段階から地域の人びとへの情報発信を始めているのが特徴です。
仕事内容についてみると、内職だけの仕事から自主製品づくりや外部の委託事業(公園清掃)にとりくんでいます。またクッキーづくりにも着手し、お菓子工房エールでの本格的なお菓子づくりの実績がここから始ります。
助走期(2000年~2005年)
~現在地の1丁目へ移転する時期から、法人化を経て可笑屋の開店前まで
2000年の1丁目喫茶ウイングの開店は地域との関係を深めるうえで、またメンバーの活動面でも、今日の可笑屋やお菓子工房エール、亀楽庵へとつながる萌芽であったといえます。今日でも気軽に作業所を訪れるのは難しいことですが、ここでは喫茶の“お客さん”としてコーヒーを楽しむと同時にメンバーとの交流を図ることができます。
地域との関係では、2003年の「かよこバス」関連の行事は可部町内でも大きなイベントであり、この過程で可部カラスの会や可部夢街道まちづくりの会など住民活動の担い手との関係を深めるたことは、その後のウイングに大きな力となっていきます。
2002年からの法人化への取り組みは、広島市内の精神障害者共同作業所では最も早い着手でした。精神障害者を取り巻く状況を変え、この地域で普通の市民として安心して暮らしていけるようにウイングがなるために、任意団体では社会的信用や活動に限界があり運営の基盤を確かなものにするために法人化は欠かすことができません。NPO法人は住民の付託を受け社会的な課題にとりくむことが使命で、単なる障害福祉サービスの提供だけにとどまりません。精神障害者が直面する生活課題を地域の共通課題として地域住民の付託、協力、支援を得ながらとりくむことが重要になります。
法人化後の直後からウイングのメンバーが中心になり、ウイングの「将来構想づくり」に着手していきます。「ウイズ」の話し合いをとおし一人ひとりが夢や希望を語り、対話し、構想へと練り上げていきます。これまでは関係者や家族がこのような計画を立案するのが一般的でしたが、ウイングでは当事者自身が計画立案し、計画実行の過程においても重要な役割を担っていきます。将来構想づくりの結論が「可笑屋」という形になりましたが、ウイズで話されたことがその後の劇団活動のきっかけとなり、劇団が古民家改修の資金集めの原動力として計画実行の一端を担っていきます。精神科病院への入院中にあったエピソード―人間扱いされない苛酷な状況について、悲愴感をもって語られる内容であるにもかかわらず、笑い飛ばすパワーを感じさせるものです。演劇は、人前で演じること、セリフを覚えること、みんなで息を合せつくりあげるための一人ひとりの挑戦であり、エネルギーの発露でもあります。
跳躍期(2006年~2011年)
~可笑屋のオープン、エール移転新装から今日まで
2006年、可部夢街道コミュニティサロン可笑屋のオープンを迎えます。地域振興・町並み保存などまちづくりの人たちの願いをも受け、募金活動を経て開所にこぎつけたことは、「福祉はまちづくり」という今日の地平への第一歩となるものです。
可笑屋は、住民の文化・芸術活動(コンサート、絵画・写真等の展示)や住民活動の会議、物産販売、福祉情報提供、まちづくりの拠点などさまざまな役割を持っています。ここに喫茶食堂を設け働くことで、来客者へのサービス提供者の役割と交流をとおし「福祉の対象者」から、「生活者」として暮らすせる糸口がみえてきます。人はだれも支援される側に居続けると主体的な生き方ができにくいものです。住民である来客者へのコーヒー等の提供と何気ないやり取り、そこから生まれる新たな関係、交流から生きていく力を獲得していきます。一方、住民の側も日々のかかわりのなかで精神障害者が地域の一員であることを自然のうちに認めていきます。啓発では獲得できない意識の変容が暮らしのなかから得られる貴重な機会となっています。「始動期」で触れた共同作業所と地域とのかかわりの次の段階である④互酬的(お互いさま)で相互変革的なかかわり、に到達しているといえます。
お菓子工房エールにおいても、従来の共同作業所が行ってきた「授産製品」づくりから「脱授産」へ、一般商品として消費者に選択されるものづくりへ、従来のクッキー類に加えシフォンケーキ(「しょうゆシフォンケーキ」など)やせんべい製造(「かべせん」「天保銭べー」「金亀もみじ」)とラインアップを増やし、フレスタ可部店やJA大町、山陽自動車道下り宮島サービスエリア等での販売へとつなげています。これらの製品が、レトロバス復元イベントを機に、中川醤油さん、可部カラスの会、福王寺など地元の団体、人びととの協働で生まれています。こうした支援を受けて、可部を代表するおみやげ品として地元に貢献できるものをつくっていきたいと考えています。
ウイングは、一般的に共同作業所に期待される“一般就労”への移行を奨励して“訓練”や“指導”に力を入れるよりも、メンバーがもつそれぞれの力を存分に発揮できる環境づくりに重点をおいています。“一般就労”ができるに越したことありませんが、まだまだ挫折せざるを得ない過酷な就労状況と、支援の欠如した社会状況があります。
訓練で障害者が変わるのではなく、障害はあっても当たり前に暮らし働けるように社会の側も変わるべきだと考えています。可笑屋やエールのように働くことをとおして住民の方々と交流し、お互いに理解し合い、変わり、新しいものをつくり出す関係、お互いさまの関係、人びとがつながり合うその拠点で働く構図をつくりたいと考えています。
東日本大震災を機に、地域の人びとのつながり、絆が重要であると指摘されています。地域課題の解決やまちづくり活動の基礎であるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が確かな地域ほど、犯罪発生率や失業率が低く、逆に出生率が上がり経済が活性化するといわれます。可部はこうした地域の活動が活発で人びとのつながり、お互いさまの関係、人びとの信頼がみえやすい地域でもあります。ウイングは可笑屋で、また福耳ネットワークや10月に予定している「やさしさのまちづくり屋台村」などにおいて、地域の非営利活動団体の結び目となる役割も担っており、これからの地域課題の解決を担う諸機関・団体のネットワークとまちづくりに尽力していかなければなりません。精神障害者の地域生活支援が、まちづくりのなかで地域の解決すべき課題として連携と協働のもとでとりくまれるウイングや可笑屋が拠点として位置づいています。
障害者は福祉の対象として支援される立場にあり、受動的な存在におかれています。喫茶食堂で働くサービス提供者として主体的な生活者へ転換をはかるうえで、地域の人びととの出会いは重要です。「福祉」の枠から「福祉はまちづくり」が、ウイングのめざすところです。
これから(2011年~)
~いま・ここから、○年後を経て、……
障害があっても生活者として自立し社会参加できる社会をつくるために、さまざまな挑戦機会をつくり出す、「夢を描き、実現していく」ことがウイングの使命です。
「株式会社をつくろう」も夢の一つです。今はまだ何の根拠もない途方もない夢ですが、最低賃金保障や労働災害保障のある安心して働けるディーセント・ワーク(人として尊厳のある労働)の環境をつくり、地域に貢献しかつ採算の見込める社会起業に活路は見出せると考えています。
夢を構想に練り上げ実現する力が、ウイングのメンバーにあります。夢を形にするために地域のみなさんの変わらぬご支援をいただきたいと願っております。
2011年9月4日